雑感

2014/01/17

阪神淡路大震災から19年

阪神淡路大震災の発生から、今日で19年です。

そのとき私はフィンランドにいました。そのころは、朝起きるとテレビの文字放送ニュースをつけるのが習慣になっていました。文字で書いてあれば、フィンランド語のニュースもなんとなくわかるからです。

テレビをつけると、トップニュースに「日本の神戸・大阪でmaanjäristys」の文字。maanjäristysって何だったっけ…と考えて、しばらく前に北海道であった地震の新聞記事に、この単語が出てきていたのを思いだしました。あ、地震か、と思って、大阪の実家に電話をかけましたが通じませんでした。この時点で、日本では午後2時をすぎていました。

家がなくなったと覚悟しました。フィンランドの報道で、神戸と大阪を区別しろというのは無理な話で、どのへんに被害が起きているかはわかりませんでした。(あとで見たフィンランドの新聞には、地図の「震源地」のマークが八尾市あたりについているのもありました(笑))

当時は家にはネットはつながっておらず、研究所にいって日本からのメールを見ると、関西からのメールで大変な被害の情報が入っていました。当時勤めていた九州工大の人からのメールとの「温度差」を強烈に感じました。研究所の同室の人は、日本の地震のことを知りませんでした。事情を話すと、日本へ電話をかけさせてくれて、幸い無事を確認しました。

当時はウェブが普及する直前で、いまのように日本の新聞がネットで読めるわけではありませんでした。地震の情報は、テレビのCNNか、フィンランドの新聞に載る外報記事か、友人たちからのメールか、いずれにせよすこしずつ断片的にしか入ってきませんでした。

1週間くらいは、仕事が手につきませんでした。それに、「温度差」を感じる日々でした。現地にいたある日本人には、崩れ落ちた高速道路の写真をフィンランドの新聞で見て、「車も減ってよかったんじゃないの」と軽口を言った人もいました。当時は腹が立ちましたが、今考えて見ると、同じ母国でも、「○区△町」と聞いて景色が思い浮かぶ者とそうでない者とでは、現実感が違うのはしかたないと思います。

研究所の別のフィンランド人には、「日本の建物にはショックアブソーバーが入っているから、地震は平気なんじゃないの?」と言われました。いやそういう建物もありますけど… フィンランドの土地は35億年前の岩でできているといわれていて、非常に安定しているので、地震はめったにありません。フィンランド人に地震の知識がないのも、しかたないですね(汗

2013/12/31

年越しのごあいさつ

2013年から14年の年越しです。

仕事のほうでは、広島大学を辞めて2年たち、広島大学に残してきた最後の大学院生が博士号をとって帰国しました。先日、順調にやっているとのメールがあり、うれしく思っています。私の方は、新たな研究テーマもできてきて、1月はこれに注力しようと思っているところです。

趣味のほうでは、2013年は6月・8月・12月と管弦楽の演奏会に出演したほか、8月の室内楽の演奏会に出演することができました。室内楽での出演はとてもやりたかったことなので、満足しています。残念ながら、これまで参加していた「けいはんなフィル」は、毎週練習に参加するのが難しくなり退団することになってしまいましたが、今後も音楽はペースをみながらぼちぼちやっていきます。

2013年も楽しくすごすことができました。皆様に、感謝もうしあげます。

広島の歓楽街「薬研堀(やげんぼり)通り」の、12月31日夜8時半のようすです。大晦日は静かです。

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2013/12/16

ごあいさつ

けいはんなフィルハーモニーでは、今日は演奏会の翌週ということで、通常の練習ではなく「ライブラリーワーク」を行いました。これは、いろいろな曲をその場で合わせてみようという行事で、一般に「初見大会」といわれているものです。団員の独奏による、協奏曲の演奏も行います。

さて、私は本日付で、けいはんなフィルを退団することにいたしました。大学で役職についているため、仕事が増えてきて、毎週平日の夜に長時間仕事を離れることが難しくなってきたためです。

けいはんなフィルでは、エキストラのときも含めて、4回の演奏会に出演しました。その他にも、ロビーコンサートの室内楽や、「音楽のおもちゃ箱」の協奏曲と、大変楽しい出番がありました。先日の演奏会でのソロ(一瞬×2ですが)も合わせて、これらの出番は、エキストラをいくらやっても決して得られるものではなく、団員になってこそのものでした。

団員を辞めるのは、大変残念に思っております。楽しい経験をさせていただき、本当にありがとうございました。練習のときに楽器も貸していただいたことにも、感謝しております。

けいはんなフィルで出演した4回の演奏会でとりあげた曲のなかで、一番印象に残っているのは、ヒンデミット「高貴な幻想」の第1曲です。自分たちの演奏の録音をパソコンに入れて、いまも時々聞いています。

なお、もうひとつ参加している京都室内管弦楽団のほうは、月1回ペースなので、当面続けようと思っています。それ以外に、何か単発の出番に参加することがあるかもしれません。

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2013/08/15

終戦の日

きょうは終戦記念日ですので、写真日記はお休みして、両親に聞いた、1945年8月15日の話です。

(1)父の話

父は工業学校(旧制中学に相当)を出て、海軍の飛行予科練習生(予科練)に入り、終戦の時には豊橋(だったかな、そのあたり)の航空基地にいたそうです。

その日の朝、「天皇陛下のお話があるので正午に集合せよ」という指示があったので、「戦争をもっとしっかりやれという話があるのだろう」と思っていたそうです。で、放送を聞いたものの、音質は悪いは言葉は難しいはでさっぱりわからず、上官の「つまり、負けた」という話でようやく敗戦なのだとわかったと言っていました。

その後は、「待機」という指示があっただけで何もすることがなかったそうです。ただ、「『負けたというのは嘘で、何かの謀略に違いない』といって、何人かが自動車に乗って出かけて行った。その人たちがどうなったかはわからない」と言っていました。

父がなぜ海軍に志願したのかは、とうとう聞くことができませんでした。ただ、祖母の話では、父が海軍に行った直後に、父と近所の人に陸軍から招集令状が来て、近所の人は家にいたので陸軍に入り、戦死されたそうです。父も一緒に陸軍に行っていたら、同じところに送られて戦死していた可能性もありました。一方、海軍予科練のほうも、年次によっては戦死率が非常に高く、海軍に行った結果内地にいて出撃せずにすんだのはあくまで結果論なのですが、いずれにせよ父が戦死していたら私は生まれていなかったわけで、父の強運には感謝しています。

(2)母の話

母は当時小学校3年生でした。(本人はいつも「2年生だった」と言ってますけど、1936年8月生まれだから1945年には3年生になっているはずです)

夏休みの途中でよくわからずに学校に集合させられ、よくわからないラジオを聞かされ、みんな泣いていたので自分も泣いていたと言っていました。

ただ、すでに終戦の前から、近所の大人たちは「負ける」とよく言っていたそうです。母の実家は名古屋の近郊で、米軍機が名古屋に向けて落とす爆弾を切り離すところが見えたそうです。そんな状態でしたから、もう勝ち目はないと一般の人もわかっていたのでしょう。時には、日本軍の攻撃が米軍機に命中するのが見えて、見ていた人が歓声をあげていたこともあったそうです。

そういえば、父も母も、テレビドラマで玉音放送のシーンがあると、いつも「ラジオは雑音だらけで、あんなにきれいな音では聞こえなかった」と言っていました。

(3)祖母の話

そういえば、祖母には空襲の話はよく聞きましたが、終戦の日の話を聞いたことがありません。祖母は、ずっと日本が戦争に勝つと信じていたそうで、近所のおじいさんが「この戦争は、負けまっせ」と言うのを聞いて、変な人だと思っていたそうです。父が海軍に入るときも、祖父は泣いていたそうですが、祖母は「しっかりやってこい」と父を送り出したとか。

国防婦人会の世話役をしてくれと頼まれたことがあったが、字が書けないので残念ながら引き受けられなかったと言ってました。でも、バケツリレーや火叩きの訓練には参加したそうです。空襲で家を焼かれてはじめて、そんなものが何の役にもたたず、それまで聞いていたことはみな嘘だったとわかったとか。

字が書けないというのは、祖母の世代は義務教育が小学校4年だけで、しかも祖母は9人の兄弟姉妹の第一子なので、おそらくまともに学校には行ってなかったのだと思います。それでも商売(八百屋)はちゃんとしていたのですが、戦争に関する祖母の「だまされた」という話を思いだすにつけ、勉強はできるときにしておかなければならないなと思います。国防婦人会の世話役は、しなくて幸いだったとおもいますけど。

2013/07/29

のらくろ小隊長

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この「のらくろ漫画集」は、戦前のまんが「のらくろ」の雑誌連載版を文庫本4冊にまとめたものです。出版が「昭和51年」となっているように、私が小学生のときに買ったものです。

この第3巻は、のらくろが少尉〜大尉のときの話です。この中に、「のらくろ小隊長」という話が載っています。同名の「のらくろ小隊長」という単行本がありますが、これとは別です。当時は、単行本は雑誌連載をまとめたものではなく、新たに書き下ろすものだったのだそうです。

これが、どうにも納得のいかない話なのです。以前、やはりこの話を「おかしい」ととりあげていたブログを見ましたが、見つからないので、ここに書いてみることにします。


舞台は「猛犬連隊」という犬の軍隊です。おもな登場人(犬)物は:

のらくろ少尉 小隊長。
デカ一等兵 のらくろの部下の兵士。
ブルドッグ大佐 猛犬連隊の連隊長。

猛犬連隊の兵営で、デカと仲間の兵士が話している。「しばらく戦争がないな。たまに戦争をしないと腕がうなってこまるよ」「のらくろ少尉殿にたのんでみたらどうだろう」

兵士たち「少尉殿 どこかへ攻めていきましょう」
のらくろ「ばかいえ 猛犬連隊は正義の軍隊である。理由もなく戦争をおこすほどやばんではない。戦争がなくて世の中が平和なら これほどけっこうなことはない」

こういういきさつがあって、裏の山で実戦形式の演習を行うことになる。山で兵士たちが塹壕を掘っていると、カエルが見物に来て、兵士たちが追い返そうとする。

カエル「穴をほるのなんか見たっていいじゃないか」
兵士「塹壕の堀り方にも秘密があるんだ」

といい、なおも「見せろ」と食い下がるカエルを兵士が蹴飛ばす。

カエルは「いじめたことをお前の隊長に告げてやる」といって、のらくろのところにやってくる。ところが、のらくろはカエルが大の苦手で、とびあがって逃げてしまう。

調子に乗ったカエルは、仲間をつれて3匹でのらくろをからかいにやってくる。デカが銃床でカエルを殴って追い払う。

殴られたカエルたちは、カエルの大将に訴え出る。大将は、猛犬連隊に軍使を送り、謝罪させようとする。

カエルの軍使が猛犬連隊の本部を訪れ、ブルドッグに大将の手紙を手渡す。ブルドッグは手紙を読むが、

ブルドッグ「なんじゃいこりゃあ わがはいはなんにも知らんことだぞ」
カエル軍使「あんたは知らなくても、あんたの部下がらんぼうしたのです。あやまり状をかきなさい」
ブルドッグ「そんなら、のらくろ小隊へ行って言え」

と、カエル軍使を追い返してしまう。

カエル軍使はのらくろのところに行くが、のらくろはやはり逃げてしまい、デカが軍使を殴って追い返す。

軍使の報告を聞いたカエル大将は、軍勢を整えてのらくろ小隊に向かって攻めてくる。のらくろは「弱い者ほどガスを使いたがるのだぞ。防毒面(ガスマスク)をつけろ」と兵士たちにいうが、兵士たちは「カエルなんて石をぶつければつぶれるだろう」と油断している。そこへ攻めて来たカエルが毒ガスを撒き、防毒面をつけていたのらくろ以外は全員体がしびれて動けなくなってしまう。

周りをカエルの軍勢に囲まれてしまったのらくろは、連隊本部に救援を求めようと、山にトンネルを掘って進んで行くと、やはりトンネルを掘り進んできたカエルが爆弾を仕掛けたところに出くわす。のらくろはカエルを見て逃げかけるも、気を取り直して爆弾をくわえてトンネルを進み、爆弾をカエルの陣地に投げ返す。

カエルの陣地が爆発し、ブルドッグが様子を見にやってくる。そこにはカエルの死体が累々。

ブルドッグ「爆発のあとはさんたんたるものだな いくさはなるべくしたくないものだ」「ところで、誰がやったのだろう?」
のらくろ(後ろから現れて)「自分であります」

のらくろは今回の手柄により勲章を受ける。デカも上等兵に昇進。


この話、非は8割がた犬のほうにありませんか?とくに、犬の兵士とカエルの小競り合いに対して、カエル大将はしかるべき「外交ルート」を通して事をおさめようとしているのに、ブルドッグはのらくろに押しつけて知らん顔、のらくろはデカに押し付けて知らん顔で、地位に応じた責任をとるつもりがまったくありません。それなのに、のらくろは勲章を受け、そもそもの原因を作ったデカは昇進しています。

作者は、この漫画を通じて、子供たちに何を語りたかったのでしょう? 冒頭でのらくろのいう「正義の軍隊」なんて、所詮こんなもの、ということでしょうか。最後のブルドッグの「いくさはなるべくしたくないものだ」という台詞が実に白々しいです。カエルを皆殺しにしたくせに。

そもそも、「どこかへ攻めて行こう」という導入部からしてヘンです。

2010/05/21

ポートレートディスプレイの復権

ポートレートディスプレイとは,下の写真のような「縦長ディスプレイ」のことです.

20100521portrait

上の写真のパソコン(Macintosh IIcx)は,1989年の発売当時,本当にかっこいいと思ったものでした.使わなくなったのをもらってきて,今も研究室の飾りにしています.

ポートレートディスプレイは,A4の書類の1ページ全体をそのまま表示できるというのが売り物でした.しかし,残念ながらあまり普及しませんでした.なぜならば,一般の人々にとって,当時のパソコンの一番の用途はワープロで書類を書くことであり,そのためにはアイコンを配置するなどの作業領域が書類の外に必要なので,画面全体が書類で占められてしまうと不便だったからです [1][2].

その後,「ブラウザでウェブページを見る」というのが,パソコンの新しい使い道になりました.現在のところ,ブラウザのウィンドウを横長画面にあわせて広げて使っている人が多いようで [3],ディスプレイが大きくなるにつれて,横幅を大きくしたデザインのウェブページが増えてきました.確かに,主なテキストの横にメニューを出すといったデザインでは,横幅を大きくする方が便利です.

ところがここに来て,iPadのような「読むためのデバイス」が普及しようとしています.iPadのデモ画像では,電子書籍が縦位置で画面いっぱいに表示されています.つまり,書くためには不便だったポートレートディスプレイが,読むためにはやはり便利だと見直されているようなのです.

ウェブデザインも,このような「縦型デバイス」に合わせる必要が出てきたのでしょうか.プロが作るウェブサイトなら,端末に合わせて表示形式を切り替えるしくみにするのでしょうが,私の片手間ではとてもそこまではできません.幸い,自分のウェブサイトでは以前から横幅を可変にしていたので,左側の余白の幅を少し狭めて,iPadの横幅768ピクセルの画面でも表示できるように調整しているところです.

[1] 雑誌に載っていたプロの仕事場の写真では,ポートレートディスプレイは書類表示専用で,作業用にはもうひとつのディスプレイを使っていました.

[2] あまり普及しなかったもうひとつの理由に,縦型のブラウン管は大きさの割に高価ということもありました.上の写真のディスプレイは,モノクロ15インチで15万円もしました.現在の液晶は縦横は関係ないようで,縦長表示にも簡単に切り替えられます.

[3] 一時は「Windowsユーザは全画面表示を切り替えて使っている人が多く,Macユーザはウィンドウをずらし重ねて使っている人が多い」と言われていたことがありました.現在でも,Windows 7ではウインドウをパラパラとめくってひとつを選び出す"フリップ3D"が,Mac OS Xではウィンドウの重なり順を素早く変更する"Exposé"が使われています.

2010/04/26

twitter

twitterというものを,始めてみました.
このブログに新規に投稿すると,twitterに更新情報が書き込まれる,という仕組みができたためです.

インターネットが一般に使われるようになってから十数年になりますが,その間,「ホームページで世界に情報を発信」(笑)から,ブログ,SNS,そしてtwitterといろいろなものが発展してきました.これらは,つまるところ「他の人とコネをつける」ツールです.インターネットが普及するよりもずっと昔でも,雑誌の「文通募集欄」もそうですし,あるいはアマチュア無線の「CQ呼び出し」(「これを聞いている人は誰でもいいから応答してください」の意味)も似たようなものです.人の欲求というのは,結局たいして変わっていません.

ただ,twitterを使い始めるのをすこし躊躇していたのは,このツールが「いかにたくさんの人とコネがあるか」「自分はいかに偉い人とつながりがあるか」を自慢するようなところがあるからです.かつてのバブル時代にも,システム手帳(笑)のアドレス帳と予定表がいかにびっしり埋まっているかを自慢する人たちがいたと聞きます.それと同じような嫌らしさを感じます.

私はそういう「偉い人にしっぽを振るような」態度は嫌いです.と言えればいいのですが,実際のところはそういう「偉い人とコネをつけてを生かす」のが,子供の頃から苦手なのです.私の顔に「苦手です」と書いてあるので,偉い人にもそう見えるのでしょう.ただ,それでもtwitterにひとつの可能性を感じるのは,情報を発信する人の「空気感」を表現できるのではないか,と思うからです.

情報通信技術が発達するにつれて,人が実際に会う必要性は減り,一極集中は緩和されるのではないか,といわれていた時期がありましたが,実際はまったく反対でした.それはもちろん,いくら情報ツールが発達しても実際に会うことには敵わないからです.

何が敵わないかというと,ネットワークを介しては,相手の人間像を形成することができず,人と交流している気がしないことです.人間像は,人に「まとわりつく」雰囲気や気分,いわゆるノンバーバルな情報によって形成(醸成?)されます.

「ホームページ」からブログ,SNS,そしてtwitterと,発信の手間が少なくなり,どうでもいいことを適当に発信することができるようになってきました.そういう「どうでもいい」情報発信で,雰囲気や気分を伝えることができるかもしれません.私のように地方に住む者にとって,直接会えないハンデを補うのは,切実なことです.

とはいうものの,私はネット上の人間像は「演じて作る」ものだと思っていますので,現実と違っていても,悪しからず.(って,言ってしまったらだめか

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2010/04/21

大阪都構想

大阪市を解体して,東京都と同様の特別区制を導入しようという「大阪都構想」は,戦後何度も何度も発表されてきたものです.「大阪都」を導入することで,大阪市と大阪府に分散している大阪の力をひとつに結集し,東京とならぶ日本のもうひとつの中心になれるといわれています.

しかし,それは難しいと思います.
それは,上でいう「東京対大阪」は,「東京都対大阪府・市」ではないからです.

「東京」という都市は,特別区や都の領域にとどまらず,首都圏全体にひろがっています.そして,首都圏は中央集権的な構造であり,都・県・政令市の中で東京都の力は突出しています.ですから,東京都を中心として首都圏全体の利害を調整することができます.また,日本国政府も積極的に調整をしています.

一方の「大阪」は,実際には京阪神をはじめとする関西圏全体をさしています.その中で,大阪府や大阪市の力は,大きいもののとくに突出してはいません.京都市や神戸市は,大阪市よりも格下とは思われていません.そして,関西圏の府・県・政令市を調整する公的機関はありません.国も,首都でない関西では,利害の調整には積極的ではありません.このような多様性は関西圏の強みではありますが,一方で空港問題での大阪府と兵庫県の対立や,サミット誘致での大阪市と京都市の対立のような問題を引き起こします.

東京都知事は,「東京市長」と「東京府知事」を兼ね,さらに「関東州大統領」的な力も持っています.一方,「大阪都知事」は,ほとんど大阪市の続きといってもよい尼崎市に口を出すこともできません.上に書いた,これこそ二重行政というべき対立は,まったく解決しません.

必要なのは,大阪府内を統一する機関ではなく,関西全体で利害を調整する機関です.平松大阪市長のいう「ワン大阪よりもワン関西を目指すべきだ」というのは,当を得ています.というより,橋下大阪府知事も,当選したときには「市町村に権限を移し,大阪府を解体して関西州を目指す」と言っていたと思うのですが.

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私は,「遅れてきたコイズミ」のような橋下氏はまったく支持していません.ただ,伊丹空港の廃止と関西州の実現は,政策として支持していました.残念ながら,いずれもその方向には進んでいません.

しかし,この調子だと本当に大阪都ができてしまうかもしれません.そのときは,私は帰る故郷を失うことになるのでしょう.私の故郷は大阪市であり,関西だとはいえますが,大阪府や大阪都ではありません.

いや,現在の大阪の状況をみるにつけ,権威や権力に媚びず自分で考える人々の大阪は,20年近く故郷を離れている間に既になくなってしまった,と感じています.かつて日本の最先端地域だった大阪は,いまや周回遅れ同然です.

2010/03/11

そんなに大阪が気になりますか

薬局での待ち時間に,置いてあった「サライ」3月号を見ていました.

この号の特集は「サライの東京散歩」で,その最初の記事は「はとバス日帰り旅行の楽しみ 関西人対関東人」.2人が東京タワーの特別展望台に昇って東京の景色に感動しながら,交わす会話は

東「通天閣の眺めはどうですか」
西「いつもとかわらん街が見えるだけで,めっちゃしょぼいですよ」

...なぜいちいち大阪を貶さないといけないんでしょうね.「東京人は大阪のことなど気にもしていないのに,大阪が東京を勝手にライバル視している」と言っている人がよくいますが,本当のところはどうだか.

東京は間違いなく日本一の大都会なんだから,もっと大きな気持ちでいてほしいものです.

なお,大阪で高いところに行きたければ,通天閣ではなく,東京タワーの特別展望台とほぼ同じ高さにあるWTCの展望台へどうぞ.また,眺めの良いところに行きたければ,梅田スカイビルの空中庭園へどうぞ.

【関連記事】 2010年3月19日

2010/02/22

黄一色

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広島駅にて.
今後数年間で,中国地方のJRの電車はすべてこの「黄一色」塗装になるそうです.

JR西日本はいろいろと理由を並べていますが,要は「塗装費をケチりたい」ということのようです.

中国地方には,JR発足後に製造された電車は1両も走っていません.
ネット上で,「JR発足の直前に,国鉄は東京に新しい電車を入れて,大阪に古い電車を押しつけた」と不平を言っている人がいたので,「JR西日本だって,大阪だけに新しい電車を入れて,広島に古い電車を押しつけている」と言ったら,「それは別にかまわない,広島は大阪ほど黒字を出さないんだから当たり前」と言われたことがあります.

それだったら,大阪のJRは東京ほど黒字を出さないから,古い電車を押しつけられても当たり前でしょう.「ジャイアンツが金で選手を集めるのは気に入らないが,タイガースがカープから選手を引き抜くのはかまわない」と言っているのと,まるで同じです.

私は自分も大阪人だと思っていますが,こういう大阪人は恥ずかしいと思います.

【関連記事】 2010年3月1日4月17日

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